政権を掌握した大久保は
政権を掌握した大久保は、不平士族の不満を抑えることは困難であることを悟り、琉球漁民が台湾の地元民に殺害されたことを理由に、明治7年(1874年)、台湾出兵を行い(その結果、木戸孝允は下野した)、更に翌明治8年(1875年)江華島事件を引き起こし李氏朝鮮に日朝修好条規を締結させた。加えて、下野した木戸や自由民権運動を率いている板垣らを牽制、懐柔するため、明治8年(1875年)に大阪会議を開催し、漸次立憲政体樹立の詔書を発布した。これにより、立法機関である元老院、司法機関である大審院、地方官会議を開催することを決めた。一方、讒謗律、新聞紙条例で言論規制を行った。
内政面では、大久保は明治6年(1873年)に内務省を設置し、殖産興業を後押しした。また、明治政府の財政難の原因となる不労所得者である士族の特権(秩禄、賞典禄)を削減したり(秩禄処分)、廃刀令を出したりした。相次ぐ改革により不平士族は反発、佐賀の乱を皮切りに、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起き、最後に西郷隆盛が挙兵した(西南戦争)がいずれも政府により鎮圧された。西郷の死により、武力による政府転覆ではなく、言論による政府批判へと時代は変わっていく。
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木戸孝允は西南戦争の最中に京都で病没し、明治11年(1878年)に大久保利通は東京で暗殺され(紀尾井坂の変)、明治新政府は志士の中核だった「維新三傑」から、伊藤博文、大隈重信を中心に運営されることとなる。
自由民権運動の発展に対し、明治14年(1881年)、開拓使官有物払下げ事件に端を発した明治十四年の政変で、伊藤博文は即時国会開設を唱えていた急進派の大隈重信一派を政府から追放する一方、「国会開設の詔勅」を発し、明治23年(1890年)に議会を開設することを国民に約束した。その結果、明治政府から追放されることとなった板垣退助は自由党を、大隈重信は立憲改進党を結成し、来る国会開設の準備を図ろうとした。