1980年代の世界貿易は、先進国、アジア地域の高い経済成長につれて順調に推移した。日本は特に1980年代前半の円安期に輸出を伸ばし、1986年には世界シェアが10.5%になり、米国と並ぶまでになった。
しかし、日本による米国への集中豪雨的な輸出のため、米国の輸出は伸び悩み、世界輸出市場に占める米国のシェアは11%台で低迷。1980年代を通して見ると、米国では輸入が急増し、1984年には貿易赤字が1,000億ドルを超え、米国の産業競争力は著しく低下した。
そこで、レーガン大統領は、1983年6月、ヒューレットパッカード社のジョン・ヤング社長を委員長に迎え、学界、業界の代表者からなる「産業競争力についての大統領委員会」を組織した。
ヤング委員長は、米国の競争力の低下を一年半にわたり広範に検討し、その結果を「地球規模の競争-新たな現実」と題する報告書として1985年1月25日に大統領に提出した。これが“ヤングレポート”として有名な報告書である。
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報告の骨子は、「米国の技術力は依然として世界の最高水準にある」とした上で、それが製品貿易に反映されないのは、「各国の知的財産の保護が不十分なためである」と分析し、その回復のために、プロパテント政策を推進することを提言した。この提言と同様な政策は、その後の大統領通商政策アクションプラン(1985年9月)や、米国通商代表(USTR) の知的財産政策(1986年4月)などにも見いだすことができる。